田中 賢二
(たなか・けんじ / TANAKA・KENJI)
1942年東京生まれ。1963年桑沢デザイン研究所卒。1988年八ヶ岳の麓に灰汁発酵建の藍染の工房を移築。1990年東京アメリカンクラブ内ギャラリーにて作品展。1997年藍染教室『藍に遊ぶ会』主催。1998年ドイツ シーボルトミュージアムにて作品展。1999年ハンブルグ国立工芸博物館がタペストリーを収蔵。2004年ニューヨークのギャラリーにて作品展。2007年玉川高島屋にて作品展。2009年松明堂ギャラリーにて作品展。新宿高島屋にて作品展。2012年三鷹市芸術文化センターにて『蓮』展。2013年新宿高島屋にて作品展。以降、毎年個展を開催。
日本の伝統工芸の藍染で、独自のアートの世界を表現し続けるなか、2019年、インスタグラム上で紹介された田中の作品がカンヌのギャラリーに高く評価され、イタリアのSCALVINI MUSEUMで個展開催が決定。
工房藍 「田中賢二 藍の世界」HP
https://www.kenjitanaka.info/
工房藍 「田中賢二 藍の世界」FB
https://www.facebook.com/pg/kohbohai/posts/
天然灰汁発酵建の藍染に魅せられて
その日本伝統工芸である藍と出会い、その色に魅了され、それまでの仕事であったグラフィックデザインの職を離れ1988年より標高1000mの八ヶ岳高原に「工房藍」を開設。
藍の深奥に迫るには最適な環境です。春夏秋冬、四季折々の色、光、風を感じ創作活動にはこの上ない場と思い嬉々として自分の中で満足感を感じながら制作をしておりました。
49歳の時、大腸癌になり、先が真っ暗になり愕然となりました。
追い打ちをかけるように2~3年ごとにいろいろな癌(肝臓癌4回・大腸癌2回・胃癌、最後に膵臓癌)にかかりましたがまだ生きています。
勿論、身体を騙し騙し制作をしておりますが、考えると健康な時よりも今の方が物の見方が大分違っているようです。
私の持ち時間と関係があるのかもしれません。悔いのないようにと。
振り返ると私の作品は癌になった頃のデザインのほうが厳しい緊張感があって大好きです。
40年、日々をひたすらに藍と向き合い、絞りと藍染の制約を駆使して自らの造形へと、独自のアートの世界を表現して行きたいと。この藍に出会えた事を光栄に思います。
生まれ変わったら違った形でまた同じ事をするだろう。自分はくそ真面目な人間だと思う。
かたちの美しい物を信じる、そうでない物は好まない。
デザインと技法
デザインのアイデアは365日考えている。本を読んだり、お酒を飲んだり色々な時間にも何か仕事のことを考えている。約30年間、気が付けばスケッチをしている。
私にとっての藍は単なる「色」という枠を超えたものである。天然藍の色に〇△□などのシンプルな幾何学的形態をモチーフにして絞りの技法を使い、計算されたものより直感的なイメージを即興的に形にしたい。
絞りの技法にこだわるのは空気酸化によって染まる濃淡の変化で立体感が付き形の深みにもなる。自分の表現は糸の絞め加減で意識に合わせ強弱をつける。
私がやっているのは三角と丸であってもただの三角と丸ではなくす事。それが絞りという技法でありデザインである。
偶然の美に意識的に迫る。
まるで藍に触発されるようだとさえ感じるのです。