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技術の架け橋

石﨑 敦士

(いしざき・あつし / ISHIZAKI・ATSUSHI)

石﨑 敦士の写真

Column Hair Studio Malaysia代表。
1995年に東京原宿にHair & Make Column をオープン。
2011年にマレーシアへ渡り、2018年にColumn Hair
Studio Malaysia をオープン。
マレーシアでは、在マレーシアの日本人や、マレーシア人へ日本の技術を提供。

Column Hair Studio Malaysia Facebook Page
https://www.facebook.com/columnhairstudio

Column Hair Studioブログ
https://ameblo.jp/atsushi1439/entry-12799340735.html

転換期

程なくして、将来を左右する出来事がありました。

それは、マレーシアで美容師をやらないかと言ったオファーがあったのです。

その時期は2010年の秋。

まだ、原宿サロン継続の気持ちでしたので、この時は丁重にお断りをさせて頂きました。

ましてや海外など、日本しか知らない一美容師には、想像もつかない事でした。

それから年も明け、2011年へと入って行きます。

その頃は、原宿は家賃が非常に高い場所なので、生活基盤である三軒茶屋へ移転しようかとも考えてましたね。

自分の中でも、何か大きく舵を切ると、何処かそんな思いがあったのかも知れないですね。

そんな思いで生活をしていた頃、日本中を大きな衝撃が走ります。
3月11日、東日本大震災です。
原宿も大きな揺れを感じ、スタッフ一同、代々木公園へ避難しました。

その後の、福島原発の爆発。
計画停電と、日常生活もガラリと変わりました。

いつ止まるか分からない電車、電気。
当然、お客様も激減しましたし、髪を切る様な状況では無かったのかも知れませんね。

その為、三軒茶屋への移転計画なども当然ストップ。

耐えるしか無い時期でした。

進路変更

そんな、震災後の東京を過ごしていた時、一つの決心が付いたのです。

日本では、暫く動きが取れない。
それであれば、いっその事日本を離れようと。

前の年に連絡を貰った、マレーシアの事が蘇りました。

動けない所で考えるより、動ける場所へ自分から向かって行こうと。

マレーシア側へ連絡をとり、4月にはマレーシアへ視察へ向かいました。

マレーシア視察

震災のニュースが毎日の様に報道される中、マレーシアへ視察へと向かいました。

そこにあったのは、初めて見る国の姿でした。
思ってるより、ずっと発展しているマレーシア。

日本とは、全く異なる多民族、多文化な国。

正直、そこで働くという想像が、全く出来ませんでした。
英語もろくに話せず、海外生活と未経験。
そんなマレーシアと、日本で置かれた自分の立場とを、マレーシア滞在中、毎日考えてました。