こうづ なかば
( / KOWZU・NAKABA)
Creator
兵庫県宝塚市出身
桑澤デザイン研究所卒
オリジナルのSFストーリーから作品を創出。手法はコンピュータコラージュ、立体造形、ペインティング、ドローイングなど多種多用。
Gems Seekerのロゴタイプデザイン、イメージフォトグラフなど全てのイメージをこうづ自身が制作。
Gems Seeker(ジェムズ シーカー)
http://www.gems-seeker.com
nakaba kowzu art works
http://www.calling.co.jp/
Gallery chord
https://www.facebook.com/gallerychord
プロローグ
2016年のトウキョウ。
アトリエの片隅のイーゼルに垂直に立てられたキャンパスに、絵具が一筋ゆっくりと流れ落ちている。
微妙なゆらぎの痕跡を残し、”青”と呼ばれる可視光線を放ちながら。
第一章 天文学者 カール・セイガン博士
1977年NASAのボイジャー計画がスタート。
1990年にはボイジャー1号が太陽系の果てに到達。その時に天文学者であるカール・セイガン博士の発案で太陽系の星々の撮影に成功。
太陽系家族と名付けられた組写真のポートレイトには人類の価値観を変えるインパクトがありました。
その中でも地球を写した1枚はThe Pale Blue Dotと呼ばれ、ボイジャー計画の代表的な一枚として記憶されています。
粒子の荒い画面上の片隅にある薄青色の小さな点。
それが僕達の生きている地球だという事実は、人類に”謙虚”さを思い出させてくれます。
20年前にカール・セイガン博士は3分ほどのビデオメッセージThe Pale Blue Dotを残してくれました。
現在You Tube等でも視聴可能なそのビデオは、「宇宙から見れば人種の違いなどは無意味で、我々人類を助けに来てくれる存在は宇宙には居ない」と、教えてくれます。
加えて、2014年の2月にシリアで命を落とした僕の親友である国際ジャーナリスト後藤健二がよく話していた、「同時代に地球で生きて居るのだから想いを届けたり助けたりするのに距離は関係ないよ」という言葉を思い出したのです。
第二章 後藤健二
彼の映像を使って僕がアート作品を創り、the chordと名乗って個展を展開したのは2010年のこと。
東京、高松、長崎と巡回し、とても多くの方々が来場され、嬉しい感想を頂きました。
前例の無い作品群を制作するにあたり創作活動は困難を極めましたが、僕達はひとつの突破口を見つけました。
それはジャーナリズムをアート作品化するために必要なのは宇宙からの視点だと言うイメージです。
個々の事件や出来事を普遍化(アート化)するためには時間の感覚と距離の感覚を拡大する必要があったからです。
その結果、作品を創るというある意味傲慢な感覚が無くなり、被写体になってくれた少年少女達への捧げ物として「つくらせて頂く」という感覚になれたのです。
自我は消滅し魂が彼らと繋がるのです。魂ですから彼らが死んでいても生きていても、どこに居ても関係無いのです。
後藤健二はWorld with You.というメッセージをオフィシャルサイトのトップに掲げていました。
それは被写体になってくれた少年少女達に向けた言葉です。
「君たちを一人にしないよ」「世界は君たちに寄り添ってるよ」というメッセージなのです。後藤健二はシリアで風になり、地球の上をゆったりと旅を続け彼らを見守り続けるでしょう。
健二の囚われた姿をYouTubeで見た時に、なぜか思い出したマンガがあります。
それは1970年に発売された手塚治虫先生のザ・クレーターというSFの短編集です。
第三章 手塚治虫
ザ・クレーターには多くの短編が収録されていますが、全ての作品が人間の矛盾についての逸話になっています。
そして主人公は一様に孤独です。
当時小学生であった僕にはそのエッセンスしか理解出来なかったのですが、道徳や正義は揺れ動いているという事を子供時代のザ・クレーター体験と、そして後に後藤健二と挑戦したアート作品の創作過程から学びました。
最終話の”クレイターの男”では、永遠の命を得た男がたった一人月面で地球が核戦争で滅亡する場面を呆然と見つめる一コマで終わります。
その時、主人公の壮絶な孤独感と宇宙が僕の中で繋がったのです。
後藤健二を殺害したとされる黒服の男から発せられた大きな孤独感、それがマンガ”ザ・クレーター”を思い出させたのでしょうか。
正義は一方方向ではありません。一方の正義は他方にとっては悪なのです。
もしくは、ある時代の正義は他の時代でも正義であるとは限りません。
普遍だと思えるものでさえつねにゆらいでいるのです。
現在世界中で愛されている色、青と呼ばれている色についてみなさんはどれほど知っているでしょうか?ここにもまた価値観の揺らぎが潜んでいます。