第八話 祈りへの誘い

祈りへのいざな

「その独房は、ほとんど身動きもできない狭い所で、三面は壁に囲まれ、一面の分厚い扉の上の方に小さな覗き穴があるだけでした。傷だらけの祖父は、当然傷の手当てもなく、真っ暗な独房の中で体を横たえることもできず、ただ死を待つだけでした。そんな祖父を支えたのは信仰であったと思います。祖父はカトリックのクリスチャンでした。子どもの頃から感受性が強く、早く両親を亡くし、孤独で苦しみの多かった祖父にとって、神との祈りの中での対話は、大きな心の支えでした。信仰生活の中にも色々な時代があったと聞いています。純粋に神を仰ぐ時代、神との出合いによって交わされた蜜月の時代、溢れるほどの神からの恵みの時代、神の悲しみと喜びを味わう交わりの時代、神の応答が感じられない沈黙の試練の時代……。様々な時代を越えて生きて来ました。そして、ナチスの台頭によって社会情勢が悪化していく中で、愛と平和の神の遣いとしての働きをする祈りへと導かれて行きました。そうして培われていった様々な信仰の祈りを通して、祖父は神の愛に深く霊的に交わり、神の心を一層、信頼していったのです。そして、たとえ自分の命がどのような形で奪われようとも、どんな悲惨な最期を迎えようとも、自分の魂は必ず最後には神に救われると確信していたのです。

祖父は、青年のために命を差し出してナチスによって捉えられ、独房に入れられましたが、心の中には、怒りや憎しみや恨みはなかったと言っていました。むしろ、祖父の中には深い悲しみが沸き起こり、苦しみに襲われていました。それは、自分の命惜しさへの悲しみでも苦しみでもありません。人間の最低限の信頼が崩れ去る悲しみであり、愛を覚えて生まれて来たはずの人間が、冷酷非道の悪の塊に変容して、人間が人間でなくなってしまっていることへの悲しみと苦しみでした。しかし、祖父は思ったそうです。私の悲しみや苦しみなど、神の悲しみに比べれば、どれほど小さいものか、と。聖性の源であり、愛の源である神は、誰よりも純粋極まりない清らかな愛の心の持ち主です。その神が私たち一人ひとりの心の隅々までご覧になっている……。その悲しみはいかほどのものであるか……。愛そのものである神にとって、人間はすべて我が子。宗教、人種、国……と人間の手で隔たりを作ろうとも、心ない格差を勝手に作ろうとも、神の前にあって平等である我が子。その兄弟である人間たちがこのように利権を主張して争い、多くの人達を虐げていることに、どれほどの悲しみがあるか……。しかし、闇の中で迷い苦しむ我が子を――哀れで愚かだからこそ――救いたいと思われるその神の恩恵。それがどれほど大きな愛であるか……。神が私たちに与える最大の恵み、それは愛と平和。それを大切に正しく育てることのみを、願っておられる。そのために導いてくださる。私たちは人生を通してその導きを一つひとつ確認し、発見していくこと、過ちに気づいて悔い改めながら。そして平和を構築していくこと。それを神は願っておられる……。

祖父の中に生まれる悲しみ……。そこには、神の心から溢れでた悲しみと願いが溶け合っているように思えたと言っていました。そうして、祖父は思い巡らしていくうちに、やがて深い祈りへといざな誘われて行ったのです。

独房での溢れる愛の祈り

自分自身が気づいていかなければ……。悔い改めようとしなければ……。
神は、我が子を救いたいと願われる。人が省みることができれば、神は愛の道に一歩一歩導くことができる。
時代を巻き込む大火事は、燃料が尽きるまで燃え続ける……。
消そうとしても赤い炎の勢いには追いつかない。彼らは優位に立って社会を支配して時代を席巻し、勝利していると思い込んでしまうだろう。しかしそうではない……。早く気づかなければならない。
彼らは、自分たちが生き残り、私たちを滅ぼそうとしていると思っている。
しかし、そうではない、私たちを滅ぼそうとすればするほど、彼ら自身が滅びてしまう。彼らはこの真実を知らない。今のままでは彼らの魂は救われないだろう……。自ら悔い改めない限り、気づかない限り。
彼らには、救われていないのは私だと見えているだろう。だが、それは違う。たとえ私の命が奪われても、神は私を救う。なぜなら、私が人間の愛を、神の愛を信じているからだ。愛を捨てない私たちを、自由と平等と博愛を信じて迫害される私たちを、神は憐れまれるだろう。虐げられ、愛に飢えて絶望していった人々を憐れまれるだろう。突然、尊い命が奪われた人達ものことも……、神は、哀れみ清め救われるだろう。

積み重ねられた扉は、神と人の間に高く分厚い扉を作る。神の愛と救いの呼びかけをはじ弾き飛ばす。罪の城壁は、神の愛の光が入らない闇の領域を増強していく。彼らはなぜ、愛を冒涜し貪るのか。
私は、痛む、痛む……。罪に痛む、痛む、痛む、痛むのだ。引き裂かれる思いだ……。
祈ろう、祈ろう、彼らのために。そうだ、彼らは祈られることを最も必要としている。自分のためよりも、彼らためにまず祈ろう。人間の愛の心が、取り戻されるように。気づけるように。私は彼らのために祈らなければならない。人間が真に人間らしくあるために!
悔い改められること、それは、大きな恵みに繋がるのだ。彼らは神を恐れるかもしれない。しかし、本当の神は悔い改める時、愛の手を差し伸べられる。どんな極悪非道の罪を犯そうとも。そして救おうとされる。なぜなら、神は全ての人を愛しておられるからだ。
あゝ、祈ろう、彼らのために。彼らこそ、祈られるべき人たちだ。
私はすでに救われている。先に救われている者が、救われていない者たちのために祈ることだ。一人でも多くの人たちが気づくようにと。
固まった罪の闇にひびを入れられるのは省みる心のみだ。神はそれを見逃さない。そこに神の愛の光が差し込まれる。あゝ、そうだ……。彼らに代わって祈るためには、彼らの罪の深さを真に知る者でなければならない。ふさわしい深い祈りをするために。
目撃した者だからこそ、虐げられた者だからこそできる祈りがある。
私は彼らのために祈る。闇の奴隷になってしまった彼らのために。私がここにいるのはそのためだ。
彼らの真の悔い改めと心の救いを祈る。

・・・あゝ、神よ、今わかりました・・・

神よ、今わかりました、あなたの御心が……。

私は、祈り手としてここに、立てられたのです。そしてこの独房に辿り着いたのです……。
このような情勢になってから特に私は祈りました。愛と平和のために生きたいと。神よ、あなたはその声に耳を傾けられた……。私の願いは、その本質において、今、叶えられたのです。あなたが今、最も必要とされたのは、私の右手に握られたペンでも、絵筆でも、なかったのです。
私の心だったのです。
私の心から生まれる愛の祈りを求めてくださっていたのです。本当に人類の救いのために祈る祈りです。自分を超えて祈る祈りです。あなたが最も願っている愛と平和のための祈りです。

あゝ、そして、今、さらにわかりました。
ここは、闇と孤独と冷酷の牢獄です。そして死の象徴です。
肉体的痛みと飢えと渇き、酷い仕打ちを受けても、敵を赦し、愛することができるか……と問われている。
私が真に愛に飢え、平和に渇くのかと。その願いは本物かと。
神は真の愛の祈りを求めておられる……。真の愛の祈り手を求めておられる……。
神はきっと心痛みながら、私にこの十字架を背負わせておられる……。そして背負い切ってほしいと願っておられる……。最後まで愛を貫いてほしいと。どんな目に遭ったとしても。すべてを失ったとしても……。死にさらされても……最後まで……愛を求めて生きてくださいと……。
襲いかかるすべての艱難を乗り越えて。どんな重い十字架であろうとも、背負い、歩き続けてこそ、本当の祈りに辿り着くのだ。揺るぎない真の愛と救いの祈りを、神は待っておられるのだ。

あゝ、私はどこかで光を感じます。ほんの小さな光を……。ここは生まれ変わろうとしている……。この厚い壁も扉も、忌まわしい彼らの監視から祈りを守る厚い壁になるのです。ここは、愛と救いの祈りの館と化すのです。誰にためらうことなく、はばか憚ることなく、阻まれることもない祈りの場所になるのです。この独房で、神を仰ぎ、私は祈る、祈る、祈る……。

・・・あゝ、渇く・・・渇く・・・。あゝ、痛む、痛む、痛む・・・。

虐げられている人達の顔が浮かぶ。今この時も……。
あゝ、どんなに苦しんでいるか、どんなに悲しんで来たか、あゝ、彼らの絶望の痛みを感じる……。祈る力さえ残っていない弱り果てた犠牲者たち。祈りたくても祈れない彼らのために私は代わって祈ろう。彼らの救いのために。彼らの痛みは私の痛みだ。加害者も犠牲者も、生きている人も、亡くなっている人も、すべての魂の浄めと救いのために祈る。目覚めて、悔い改めて、天の光と結ばれるように。悲しみと苦しみを超えて、天の光へと結ばれるように。そして犠牲者の魂が、加害者の魂が……決して憎しみに支配されぬように。
憎しみは復讐を招く。悪の誘惑は悪心に変えようとする。
愛が憎しみに変えられることがありませんように。

人生ですべてを失った時、所有してきたものにどれほどの意味があったかわかるはずだ。
ただ愛を一つ握りしめていける人。そこに辿り着けた者は、最も幸いな人。

どうか神よ、虐げられる人たちのために祈ります。どんなに虐げられても人々があなたと結ばれ、愛の心が滅びることがないようにお護りください。神の愛を知らない者も、愛する人を愛する何かを思い出し、大切に思うことができますように。愛する人、愛する母、愛する父、愛する子、愛する妻、愛する夫……。
収容所の片隅で咲く小さな花でもいい。空の雲でもいい、風でも、空を渡る光でもいい……。
愛するものを見つけ出し、愛する心を抱き、それを決して離さないその力をお与えください。なぜなら、その純粋な愛の先には、神の愛があるからです。神の愛、それはすべての純粋な愛の源泉なのだから。

・・・あゝ、神を信じてきた人たちよ、その魂よ、私の声に耳を傾けてください。私はこの独房から祈りをもって、あなたに呼びかける!
神を知らない人達よ、あなたの中に愛がある限り、あなたはその深みにおいて、神を本当は知っているのです。
私はあなたに独房から呼びかける!愛を抱きしめていてくださいと。

真の神がどうして私たちを見捨てることがあろうか。神が沈黙するときこそ、信じるのだ。私たちは愛によってのみ、どんな状況に置かれようとも心において解放されるのだから。
私は愛に渇く。博愛に渇く。愛の祈りに渇く。
愛の祈りが天に昇り、天の愛の泉が私の渇きを癒しますように。キリストの霊的血と体が私の霊的血肉となりますように。愛の祈りに漂う清らかな空気の中で呼吸できますように……。

捕らわれた多くの人達がこの苦しみに負けて憎しみを抱いてその奴隷となることのないようにと祈ります。
神よ、彼らの苦しみをできうる限り、私が代わりに背負います。私ほど耐えられる人は多くはないかもしれないからです。
神よ、私はあなたによって強められています。そして、あなたという支えがあります。どうか一人でも多くの人が救われますように。
そして、復活を信じます。たとえ死に至らしめられたとしても、その人たちの魂の復活を。すべての人の霊の清めともに、復活を祈ります。

私はこの独房でまもなく死ぬでしょう。体は滅びるでしょう。生きて祈れるうちに、精一杯愛と平和と彼らの真の救いのために働きます。それが私のできるあなたへの愛です。あなたは、祈り手を探しておられます。求めておられます。愛する神よ、私はいます。ここにいます。そして祈ります。私は今、誰かを救うことはできません。誰かに願いを告げることもできません。しかし、祈ることができるのです。私の声を誰一人届けることができなくとも、神よ、あなたは聞いておられるのです。すべての持ち物は取り去られました。しかし、私の心を奪うことはできません。あなたと真に結ばれた時から、私から愛を失うことは、もはやできないのです。
 
私の愛の炎の光は、悪の闇を脅かすものです。神は私の心を掴んで離すことはないのです。だから私の愛はあなたの愛によって強められています。
虐げられる程、私の愛は燃えていくのを感じています。他の人たちの苦しみも、私の悲しみも苦しみも……。その全てを愛の祈りに変えて祈ります。
憎しみに燃え、わからなくなっている人達をお許しください。彼らはもう、わからなくなっているのです。自分が何をしているのか、わからなくなってしまったのです……。彼らのために祈ります。これは愛の祈りです。どうか彼らをお許しください。私たちが気づき、清められ、真の魂の救いがもたらされますように。

祖父がそのように祈っている最中にも、まるで、これ以上祈らせまいという力が働いているかのように、鉄のハンマーのようなものによって、激しく手の甲や足の甲を打たれる痛みに襲われていました。それは今までに味わったことのない痛みであったそうです。祖父は、それでも祈り続け「彼らはわからないのです。わからないから罪を犯しているのです」と祈り叫んだのだそうです。そして悲しみに満ちた愛の祈りの絶頂に達したのです。そしてある瞬間、祈り尽きた、祈り終えた……、と思え、まるで時が止まったかのようになり、涙がとめどなく流れ落ち、号泣していたそうです。
どれくらい時間が経ったかわかりません。泣き疲れて目を閉じていていました。体力も消耗していました。そして、祖父がふたたび目を開けた時、祖父は見たのです。

青い宇宙の光

独房の中が、まるで大空のように、また宇宙のように広がり、青い光が漂っていくのを。そして、その中に金色に輝く星々が無数に浮かびきら煌めいていました。その一つの星が大きく輝いたかと思うと、金色の十字架になりました。そこから一筋の光が自分に向かって降りてきたのです。
祖父は、伸びてくる光線に向かって力なく震える手を伸ばしました。すると、だんだんに体の中に愛が充満し、痛む霊が癒されていくのが感じられました。そして、ゆっくりとまた祈りの言葉が心から生まれて行きました。それはそれまで祈っていた感覚とは違うものでした。
まるで心の中の霧が晴れていくような軽やかな感覚があり、穏やかな祈りの言葉は光が天を突くように高く昇り、深く地に染み、広く風に渡っていくように感じられました。
そしてその時、どこからか美しい歌声が聞こえてきたのです。その歌は、ビルケナウのバラックで歌われていた、天空への扉だったのです。
それを聞きながら、祖父の心に捕らわれた人々や亡くなっていった人たちの笑顔が浮かんでくるのでした。そうしているうちに星々の光をすべて吸い込むかのように大きな金色の光が大きなうねりが生まれ、それはまるで火山が噴火するかのように天に向かって勢いよく昇って行きました。
祖父の体はその光の先端に乗せられ、勢いよくどこまでも高く持ち上げられて行ったのです。やがてその光は煌めく金色の柔らかいベッドのようになり、祖父は天空に浮かんだまま光の上に寝かせられたのです。それはまさに恍惚の世界で、その時、虐げた人々の顔が浮かんでいき、その人たちを許す心が、一つひとつ、光に変わっていくのが見えて行きました。
祖父のいるさらに上空には、これ以上ないというほど眩しい金色の雲海が広がっていました。この向こうは、きっと天国なのだろうと思いました。

祖父はその時のことを後に、振り返ってこのように言いました。
「私が、祈りの絶頂に至り、罪深い人たちのために祈った時……、そう、彼らはわからないのです……と祈った時の愛は、私の愛だけではなかった……。私の中で生きられるイエス・キリストの愛の炎が燃え上がった、それがわかる」と。
その祈りの言葉は、考えてみれば、イエス・キリストが十字架に架けられた時、天に向けて祈ったものでした。僕は、その話を聞いて、あの独房での祈りは、神と祖父の間に交わされた深い信頼関係、そして神の愛と祖父の愛の結晶として完成された祈りではないかと思いました。瀕死の状態にあった祖父が、肉体的にも精神的にも、あのように全てを捧げて祈り切れたのは、聖書にもあるように、神によって、まさに弱いときほど強くされていたのだと思います。(新約聖書のコリントの信徒への手紙第二章)生きている神の愛の炎がそうさせたのでしょう。

ミケランジェロの「アダムの創造」

そういうと、サイモンは自分の指先を見ながら、話し掛けてきた。
「システィーナ礼拝堂のミケランジェロの天地創造の絵はご覧になったことはありますか。」
「えゝ、あります。」
「あの壁画の中で忘れられないシーンがあるのです。それは、『アダムの創造』の絵です。神とアダムの指先が今にも触れようとしているあの場面です。神がアダムに生命を吹き込んでいる瞬間が描かれています。神とアダムの指は触れ合っていません。直接触れなくても霊的な力で命を吹き込むことを表しています。神の霊、それは聖霊の働きです。バチカンのシスティーナ礼拝堂を初めて訪れて、あの絵を目の当たりにした時、その場面が強く迫ってきました。静止しているはずの絵が僕の中で動き始めた……。アダムが祖父で、あの時、神が祖父に神の愛と救いの息吹を入れたのだと思いました。」

サイモンの話を聞きながら、私の中で「アダムの創造」の絵が動き始めた。
神は生きておられるのだ。人間が生きているように、神も。そして生きている神と生きている人間が出会う……ことがある。宇宙の彼方にいると思えていた神が人に呼びかけ降りてくる……、この神秘。
サイモンのお祖父様は、キリストの気持ちと重なり合い、一致して、溶け合い、お祖父様の祈りの中にキリストの生きている愛の命が燃えたのだろう……。
神の存在は、高い。しかし、近いのだ。光源が宇宙の彼方にあっても、瞬く間に地球に届く光のように。神は、愛と希望と救いの光になってやってくる……。いや、神は光そのものか。
私は、月の光を掌ですく掬ってみた。
愛の光、希望の光、信じる光、救いの光……。
新たな感覚が私の中で芽生えようとしていた。

マリア様の光

祈り倒れて、星々の輝くような柔らかな光のベッドで眠り落ちていた祖父の意識が戻ると、そこは独房の床の上でした。しかし、まだ独房は青い空のような光に覆われていました。時折、水色のオーロラのような光が緩やかに風になび靡くように波打ち、まるで透明な海の中にいるようでもありました。上からは、空の光が水面を通って降りてくる光のように、幾筋もの白金色と水色の光が差し込んでいました。そこにキラキラ光りながら舞う小さな光が現れました。
それは、青い蝶でした。
幾重にも重なる透き通るオーロラのような水色の間を優雅に羽ばたいていきます。そして、一際輝く水色のパールのような星に止まると、星はふわりと光を放ちました。
そして、たちまち光るベールを頭から掛けた美しい婦人に変わりました。それは、初めは遠くにあって小さく見えていましたが、徐々に祖父に近づくにつれ大きくなり、祖父の上の方に宙に浮かんで立ちました。
ベールは滑らかな光沢を放つ白や水色に輝いています。お顔は白いパールのように輝いて、肌は水のように透き通り、白いオーロラのようにふわりとした光に包まれ、その方の周りには金色の十字架が無数に浮かんで、かわるがわる煌めくのでした。
祖父が、無意識のうちに輝く十字架を数えていたら、全部で101あることがわかりました。すべて数え終わると、十字架は一斉に瞬き始め、澄んだ群青色の空に輝く星々浮かんでいるようで、聖夜のよう感じられました。
そのご婦人は、胸元で合わせていた白い手を、すっと祖父に伸ばして、体に触れました。すると手が触れたところから、ボロボロの囚人服が、白い絹のような柔らかく光沢のある服に変わっていたのでした。
 
次に白い手は祖父の手足に触れ、薬を塗り始めました。祖父が深い祈りに誘われていた時に、ハンマーのようなもので殴られたような痛みを覚えた手足の甲には傷がついており、血が流れていたのでした。すべてが慈しみ深い愛に溢れていました。婦人は力尽きて動くこともできない祖父の体を抱きかかえ、祖父のために祈ってくださいました。そして、子守唄のような歌を歌われ始めたのです。その歌声は、鈴のように優しく、ハープのように麗しいお声でした。

 おやすみ、おやすみ、愛する人
 あなたの心を わたしは抱く
 おやすみ、おやすみ 清らかな人
 あなたの涙は わたしの涙
 おやすみ おやすみ 優しい人
 あなたの心を わたしは抱く
 おやすみ おやすみ 悲しむ人
 あなたの心を わたしは抱く

 あなたの涙は わたしの涙 
 わたしの涙は あなたの涙
 わたしは あなたを 愛します
 わたしは あなたを 愛します

それは、いつまでも美しい旋律に乗って続くのでした。歌声を聞いているうちに祖父は、ゆらゆらと光の揺りかごに乗せられていき、さらに安らかな気持ちになっていきました。そして、ただぼんやりと揺られているうちに、物心ついた頃からのこと、辛かったこと 嬉しかったこと 小さな罪、大きいと思えた罪……、様々なことが、海の底から水面に浮かんでいくように、頭の中に浮かんでいったのでした。そして改めて、人類一人ひとりの罪の贖いのためにイエス・キリストが天から降りてこられたことが心に迫って来て、それがありがたく思え、子どもの頃辛かった時も、嬉しかった時も、いつもそばに神様やマリア様がいてくださったのだと思え、ただただ、喜びと感謝の気持ちが溢れ出て、止めどなく涙が流れていったそうです。

そう……、その婦人は、マリア様でした。それからマリア様のお姿は、だんだんと小さくなり、狭い独房の高いところに宙に浮かんだまま、優しく微笑みながら片時も離れることなく、祖父を見降ろしていたそうです。
瞼を開ければそこにいらっしゃるのがどれだけ心の慰めであり、心強いことであったかと祖父は話してくれました。そしておそらく長い眠りのあと目覚めると、祖父の体の痛みは嘘のように消え、心は平安で飢えや渇きの苦しみもありませんでした。
独房には、青色と水色と白と金色に加えて、マリア様の母性を思わすようなピンク色の光が現れ、それらの光が重なり合い、溶け合い、色とりどりの光を放っていました。それはまるでステンドグラスの光のようでもありました。独房は、もはや独房ではなく、聖堂に変容していたのです。
生まれ変わった独房……、いえ、最も小さな聖堂で、祖父は祈りを捧げていきました。そして、聖歌、賛美歌、天空への扉を歌いながら、時を過ごしていたのです。

それから数日後のことでした。第二次世界大戦は、終戦を迎えたのです。そして、祖父は奇跡的にアウシュビッツ収容所の独房から解放されたのでした。目覚めてから解放されるまでの間、祖父の心は平安で愛に満たされ、痛みや飢餓、渇きに苦しむことはありませんでした。

語り終えると、サイモンは、群青色の澄み渡る夜空を見上げ、「天空への扉」を弾き始めた。
私は目を閉じたまま、彼の演奏を聴きながら、思い巡らしていた。

今夜、サイモンが最初に私の前で、初めて「ドクボウ」と行った時、その声の響きになぜか光が差していると感じた……。それがなぜなのかわかったような気がした。
独房が聖堂に変容したことを信じているからだ。暗黒の牢獄が、聖なる光を放つ神の愛の神殿に生まれ変わったことを。この出来事は、愛が勝利することを表している。友のために犠牲になったお祖父様……。神は、愛を貫いたその人を見捨てることはなかった。いや、お祖父様は、神の選ばれし愛の祈り手であり、愛の犠牲者であったのだろう。暗黒の独房で開かれた「秘められた愛の奇跡」……。ヴィクトール・E・フランクルが綴った『夜と霧』を思いしていた。フランクルがホロコーストを通して行き着いた境地、それは「愛こそが、人の目指すことのできる究極で最高の目的である」だった。

今、私の中で、この旅で最初に訪れた「思索の丘」で浴びた陽の光とサイモンのお祖父様が受けた聖霊の光が、溶け合っていくのを感じている。そしてあの丘に現れた青い蝶……。その青い蝶についてアデレーヌに話した時の彼女の反応。そして彼女が「サイモンとお話しするといいわ」と言ったあの言葉……。断片的なサインが、にわかに光の鎖になって繋がっていくような気がした。

私は、スケッチブックを開いて、月灯りのアデレーヌの庭を描くことにした。今夜のことを心に留めておきたいと。そして椅子の脇に置いていたスケッチブックを手に取り開いた。そこで、目の当たりにした絵を見て、思わず、息を飲んで口を手で塞いだ。

 「え!なんということでしょう!これを見て……!サイモン!」

それは、今日のパーティに来ていた子ども達が、描いたものに違いなかった。
そこに描かれていたもの……それは……。
〜〜 青い空に浮かぶマリア様とその周りに散りばめられた無数の十字の星。虹の上に立つ十字架とハートを持ったイエス・キリストとマリア様。金色のベッドとその上に座る男の人。傷ついたウサギに寄り添うマリア様。大きな月とその下にいる男の人と女の人。その下にサイモン ミミと書かれている。そして、大きな十字架の上に青い蝶と白い鳩がとまっていた。〜〜

私は、涙が溢れてきた。神は全てを既に知っておられたのか……。サイモンが何を話すかも……。いや、そのように導かれたのは神なのか……。
「今夜はありがとう。サイモン。とても大切なお話を聞かせてくださって……。深く胸に刻まれました。」
サイモンは優しく微笑み、私たちは握手を交わして別れた。

アデレーヌの家の寝室に入ると、ベッドの枕元に一枚のカードが置いてあった。

窓辺から覗く青い月は涙で潤む瞳のように輝いて見えた。月よ、あなたは、どうしていつも美しいのですか?地上でどんなことがあろうとも……。いつも美しい。
あゝそうだわ……。
見上げてごらん。どんな酷いことに遭おうとも、光はあなたのそばにいるよ……。
神様は、そう語りかけてくださっているのですか。

私は、アデレーヌから贈られたカードをベッドのサイドテーブルに置くと、白いレース仕立ての掛け布団をめくり、ベッドに入った。こうして、長い一日を終えたのだった。

ごあいさつ
〜〜 THE MANでの連載はここまでで、また新たに何らかの形で
物語の続きを発表させていただきたいと思います。お楽しみに・・・ 〜〜