第一話 一枚のしおり

この瞬間この場所にいなければ、一生出会うことのない想像を遥かに超えた遭遇は、独りで旅をしている時にふいに訪れる。それも縁もゆかりもない場所で予期せぬ時に、突然起きるのだ。いや、私は予期していたのではないか。あの場所に私を連れて行ったのは私の魂なのではないか。誰かの残り香に遠い記憶が目覚めるように、自分の奥深いところでずっと何かを探し続けていたのではないか。だからこうしてこの旅に出逢えたのではないか。出会いというのは不思議だ。私はこの旅で自分自身が何者かに開かれていくと同時に、私そのものを知っていくのだ。

天から与えられる最高の出会いがあるなら、人智を超えたものだろう。それは全身全霊が震えるほどの感覚になるのかもしれないし、地球を突き抜けて空高く昇り、さらに永遠の宇宙へと飛び立った後、底深い魂の海を泳ぐような、高みと深みをなぞる恍惚に触れるものかもしれない。それは最上級の至福溢れるものであるはずだ。

そうした出会いは、それまでの人生観や世界観を一変させてしまうに違いない。そしてそれは生涯、色褪せることなく瑞々しく生きつづけるのだ。あゝこの旅を何と言おうか。美しいブルートパーズのように輝く「青い奇跡の賛歌」と呼ぼうか!

私は、今、最愛の人のことを想う。「すべては時に適って美しい」というが、先急いでこの旅の話をすれば、価値のない他愛のない絵面ごとに終わるのだろう。ならばちょうどいい、今最愛の人は、随分離れたところにいるのだから。しかし、いつの日かあなたに語りたいと思う。なぜならこれは私の知る最も美しい旅だからだ。そうだ、もしも語る日が訪れるとするなら、私はきっと、あの夜の出来事から話し始めるだろう。

── 愛とは何か、とお前はたずねる。たちこめる霧に包まれた一つの星だ ハイネ ──

あの日、私はニュース番組の仕事を終えてスタッフと別れると、放送局前の通りから一本入った路地沿いにある古本屋に立ち寄った。入り口は山積みになっていて、いつものように体をくねらせて店の中に入っていく。

私は、細川ガラシャを特集する特番に関わることになっていて、その夜は、以前そこで見かけた細川ガラシャの本を探しにやって来たのだ。「さて、まだあったかな」店主が腰を上げた。

目的のものを探しながらも、普段なかなかお目にかかれない時代物の装丁の本が目に入ると、つい手に取ってみたくなる。実はそれは常で、そんな古本屋での道草が私は決して嫌いではなかった。特に仕事帰りで疲れている時に、お気に入りの本が見つかると、気持ちも和んだ。

天井まである木製の本棚を見上げると、私の瞳に青い背表紙が映った。周りの本が霞むほどひときわ目を引く美しい背表紙で、フランス語でPORTEとあり、その下に緩やかに結ばれた青いリボンが描かれていた。本の端は布張りが少しばかり剥がれているようだ。手を伸ばし、用心深く背表紙を引いていった。すると深い青色とブルーグレーと水色の糸が織り込まれた布で覆われたクラシックな装丁の表紙が現れた。開いてみると、やや焼けた頁にエッチングで繊細に描かれた挿絵が施されている。とても惹かれる。

家に帰り着くと、私はなだらかな長椅子の肘掛に背を凭れ、買い求めた青い表紙の本をすぐに開いた。店では気づかなかったのだが、その本には一枚のしおりが挟まれていた。本の持ち主が作ったのだろうか、ネガをそのまま焼きつけたような小さなモノクロ写真が細長い紙の上の方に貼り付けてあり、異国の海辺の丘の町が写っていた。その写真の下には、これは地名だろうか、黒インクでRubanとあり、1921年5月13日、フランス語で Perle – Saphir – Bleu(真珠 サファイア 青)、それからM.F. et P.P.と記されていた。これはイニシャルだろう。だとすれば、恋人か夫婦の二人でこの地を訪れ、思い出の地となったということだろうか。この本ももしかすると二人の思い出のもので、そうとは知らない子どもか孫が古本屋に出した、そんなところかもしれない・・・と、空想してみたりもした。

それにしてもこんなに長い間、よくもしおりが本に挟まれていたものだ。これがまだ誰かの大切なもので、いつの日かその人に返さなければならないようなそんな妙な気分にもなってくる。ふたたび水色の本の間に収めると、長椅子のスタンドライトを消してベッドサイドのテーブルにその本を置き、寝支度を始めた。

それから私は毎晩、慣れないフランス語の学びにもなると少しずつ読み進めていった。本を開くたびに目にするしおりが愛おしくなり、眠る前に枕元で手にとって眺めているとどこか気持ちが安らいだ。そのうち写真の風景に郷愁を覚えるようになり、やがて、いつの日かこの異国の地を訪ねてみたいという気にまでなっていったのだった。